大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)2563号 判決 1963年11月19日
原告 成載門
被告 株式会社朝日新聞社
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告は、適式の呼出を受けながら、最初の口頭弁論期日に出頭しないが、陳述したものとみなすべき訴状及び準備書面の記載によると、原告は(一)被告は原告に対し金百万円及びこれに対する昭和三十三年二月十九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、(二)被告は原告に対し、「昭和三十三年二月十八日朝日新聞東京本社発行の朝日新聞第二五八八五号紙上において、月山明海こと成載門を自転車窃盗の犯罪を行つたかのように書いた記事を掲載したことは事実に反する過失であつたので、これを取消し、仍つて成載門の名誉を無実な汚名で毀損したことを深くお詫びする」旨の謝罪文を本文十八ポイントゴジツク活字を使用し四十二ポイントの活字で見出しをつけてその活字で埋めたる広さの紙巾で朝日新聞岩手地方版に一回掲載し、謝罪せよ。(三)訴訟費用は、被告の負担とするとの判決と(一)項に限り仮執行の宣言を求め、
その請求の原因としては、別紙請求の原因記載のとおり主張するというのであり、
なお、被告の二重起訴の主張に対しては次のとおり主張するというのである。
即ち、原告は被告を相手取り東京地方裁判所に被告の主張するような訴訟を提起し、その後本件訴訟を大阪地方裁判所に提起したものであるが、右両事件は、同一事件ではない。本件訴訟は、本件請求の原因に明らかな如く、被告が原告の名誉を毀損する記事を、被告新聞の岩手版に掲載し岩手県下に頒布したことを以て不法行為とするものであるが、東京地方裁判所に提起した前記訴訟は、右記事を被告新聞の青森版に掲載し青森県下に頒布したことを以て不法行為とするものであつて、右二つの訴訟は、同一ではない。したがつて被告の二重起訴の主張は失当であつて理由がない。
以上のとおり主張する、というのである。
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、
その理由として、
原告は、昭和三十七年六月二十七日、東京地方裁判所に被告を相手取り、損害賠償等の訴を提起し、右事件は同裁判所昭和三十七年(ワ)第五〇〇三号事件として同日受理され、右訴状は、同年九月二十六日被告に送達され、右事件は同裁判所に係属するに至つたが、右事件の請求の趣旨並びに請求の原因は、別紙請求の趣旨並びに請求の原因記載のとおりであつて、その後大阪地方裁判所に提起され、係属するに至つた本件訴訟とは、その当事者及び訴訟物が同一であつて、右両事件は同一事件であることが明らかである。したがつて本件訴は所謂二重起訴であつて不適法であるから却下さるべきである。
以上のとおり陳述した。
理由
原告が昭和三十七年六月二十七日、東京地方裁判所に、被告を相手取り、別紙請求の趣旨並びに請求の原因を内容とする損害賠償等請求の訴を提起し、同裁判所昭和三十七年(ワ)第五〇〇三号事件として、同日受理され、右訴状は、同年九月二十六日、被告に送達され、右事件が同裁判所に係属するに至つたこと並びにその後本件訴訟が当裁判所に提訴係属するに至つたことは、本件記録自体並びに本件記録に編綴する被告提出の資料によつて明らかであるところ、原告は、東京地方裁判所に提起した前記訴訟は、被告が原告の名誉を毀損する記事を、被告新聞の青森版に掲載し、青森県下に頒布したことを以て不法行為とするものであるに反し、本件訴訟は、右記事を被告新聞の岩手版に掲載し、岩手県下に頒布したことを以て、不法行為とするものであるから、本件訴訟は、二重起訴に該らない旨主張する。
しかしながら、右両事件における原告の主張自体から認められるように、右記事は、いずれも被告新聞社東京支店が、昭和三十三年二月十八日附第二五八八五号を以て、同一事実につき編集発行したものであり、基本的に同一内容の記事が単に青森版と岩手版に分れて、掲載され、一般読者に頒布されたにすぎないことが明らかであるから、右記事の公示は、社会観念上一個であるというべきであり、各地方版毎にその数に応ずる数個の公示行為があつたとは到底解することはできない。したがつて、たとえ原告が、右記事によつて、名誉を毀損されたとしても、右毀損行為は、全体として一個であり、右記事が青森版と岩手版に分れて掲載頒布されたからといつて、各版毎に各別の不法行為が成立するものとなすことはできない。
以上のとおりであるから、原告の本件訴訟は、原告が既に、東京地方裁判所に提起した事件と同一の訴訟物につき、提起したものであるというべく、したがつて、本件訴は、所謂二重起訴として不適法であり、却下を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 村上明雄)
別紙
請求の原因(本件)
(1) 朝日新聞東京本社は通称で登記上は朝日新聞東京支店である。
本件不法行為はその東京支店が発行編集した朝日新聞岩手地方版に掲載した原告に関する犯罪記事を問責し訴求するものであります。
(2) 被告法人の被用機関である朝日新聞東京支店が、昭和三三年二月一八日朝日新聞第二五八八五号岩手県岩手地方版に要旨左のような無実の記事を掲載したのは不法行為であるのでその為に生じた原告の精神的及び経済的及得べかりし利益の喪失の賠償を求めるものであります。
即ち成載門を大がかりな自転車窃盗犯人として数十台の自転車を恰かも現実に盗み又その盗みを原告が自認したるかのように書いた記事を掲載した事実をいう。
(3) 泉山清作、松山永植、吉本キクノ方に成載門が盗んだ自転車を多数密送して売りさばき八戸青森から盗んだ自転車を盛岡に送つて密売しその盗みは新品数十台にのぼるものであると断じた記事を載せた。
(4) 泉山清作、吉本キクノ、松山永植方で成載門が盗んで送つた自転車数台を押収し同人達方を探索捜索し同人達を窃盗又は贓品の故買犯人として取調べている旨を全く虚実であるのに恰かも本件犯罪記事の真実である証拠の裏付のように書き立てた。
(5) 成載門が盗んだ自転車を八戸に送り偽名を使つて送り又犯行を隠す手段として市役所に数人名儀で鑑札をとつてつけるなどたくみな方法で盗みを重ね仍つて数十台の自転車を盗んだ旨を記事として掲載した。
(6) 新品の自転車を専門に青森岩手両県で三十台を盗む前科八犯の朝鮮人である旨及組織的なグループを組んで盗みをした主犯というようなことをその用語措辞甚だ妥当を欠く表現を用いて原告の名を辱かしめるような記事を掲載した。
(7) これらの内容につき成載門自らが主に新品をねらつて盗んでいた旨を表言したかのように即ち読む人をして疑いを持たしめることなきよう成載門が犯行全般を自認しているかのような無根の表現を以つて原告に於て後日之れら読者に弁解の余地もなきように決定つけるような内容の文法で恰かも真実に相違なきものであるように何人も思わしめるような記事を載せたのである。
(8) 被告会社は新聞を発行しそれを売つて尨大な利益を収めている営利会社である。
(9) 資本金二億八、〇〇〇万円でありその他の財産が無りよ数十億は有するものであり全国数ケ所の支店及数十個所の支局及数百個所の通信部及数千の販売店等にわたる資産は巨万に至るものであり数万の被用者を有する大事業を営む法人である。
(10) 被告の代表機関はその機関内における新聞発行業務執行上の指揮監督義務及その被用者がその業務執行上他人に加へた損害を賠償する義務を負うものである。
(11) 被告の新聞発行業務執行上に於ては報道の内容は真実、正確、真相を世間に報道し万一その内容が事実と相違した場合にもそのため特定の他人に損害を与へることのなきように配慮する義務がある。
(12) なんとなれば私人の不名誉になることも報道する場合があり得るからであり興味をそそる表現を用いることもあるから必然私人の名誉を毀損する危険をはらむものが、新聞編集業務でありこの危険性ある業務が、被告会社の主要事務である。
(13) そういう危険をはらむ事業を法及社会が許容するのは真実真相事実を世間に速報するという報道機関の使命の公共性とその地位を濫用に至らないものと信ずる期待の然らしめるものと思断する。
(14) 然り而して被告会社の監督機関及その被用者は右期待権を裏切ることなきを期し以て事実に反する私人の行為を誇張創造して報道することなきように注意し又私人の名誉を反事実を以て毀損してはならぬ注意義務を負うものと推断する。
(15) 又被告会社は他人の私行に関する記事の掲載をするについては特にその記事内容の真実正確性に格段の意を用いその表現に於てもみだりに他人の名誉を傷付けることのなきように配慮する義務を有する。
(東京高裁昭和二九年五月一一日判決下級民集五巻五号六八一頁等参照)
(16) 被告会社が、上述の注意義務に反し一台の自転車さへ盗んだ事実の全くない原告を数十台の自転車を盗んだと断ずる記事を真相を確かめることをせずしかも原告本人がその犯行を自認したかのように創作して五〇〇万読者をあざむき原告の名誉を回復至難なように毀損したる本件不法行為は被告に違法性阻却の事由も全く無い。
(17) しかも被告は類似の内容を訴外毎日新聞青森地方版にも(本件では問責しないが)原告を盗人として報道した。又泉山清作、吉本キクノ、松山永植の三人は原告と自転車のことになんの関係もないのにこれらの者を成載門と共に盗んだ自転車の売買をしたかのように大多衆の公衆に報道したるは不注意千万である。
(18) 本件不法行為時原告は年令三四で会社員で土建、古物商、飲食店、海産物加工販売等を営み百人の被用人を使い月収十万程はあつたが、岩手県下に本件新聞が出てから盛岡市餌差裏の飲食店には「盗人の酒は飲めぬ」と客は絶え「盗人の魚は食へぬ」と約三百万円の利益の見込まれた魚の売買契約及取引が破約し百万円代位の魚を売れなくなつて腐らしたのである。
事情として青森県八戸での加工業上も五、六百万円の損害を蒙り原告はそれ以来社会の信用を失いどん底におちいり今病んで呻吟中悲憤の涙に明暮れ右裁判を求めるものであります。
請求の趣旨並びに請求原因(東京地方裁判所係属事件)
一 請求趣旨
(1) 被告は原告に対し「昭和三三年二月一八日朝日新聞青森地方版に新品自転車を専門に前科八犯の朝鮮人両県で三十台盗むという見出しの犯罪記事を掲載したのは其の内容が事実に反するものであり且つその文法用語に妥当を欠き徒らに他人の名誉を傷付けたる過失を深謝し該記事を取消す」旨の謝罪文を朝日新聞紙上に見出しを初号活字を用い本文は十八ポイントゴジツク活字を使用してその活字で組立てたる広さを紙巾として一回掲載し謝罪せよ。
(2) 被告は原告に対し金百万円及之に対する昭和三三年二月一九日以降年五分の遅延損害金を支払せよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
右第二項に限り即ち金百万円及年五分の金員支払については仮に執行できる。
という趣旨の判決を求める。
二 請求原因
(1) 被告新聞社は東京都千代田区有楽町に於ける同社東京支店が発行した朝日新聞第二五八八五号昭和三三年二月一八日「新品自転車を専門に前科八犯の朝鮮人両県で三十台盗む」という見出しで青森地方版社会面に成載門が窃盗グループであり自からその犯行を自認しているかのように事実でない事を記載して原告の名誉を傷付け精神的肉体的経済的多大の損害を与えた。
(2) 成載門がかなり大がかりな組織で自転車窃盗を働いていたことがわかつた旨及新品の自転車を専門にねらい盗んではところどころに隠して置いてあとで運ばせた。と見たような嘘を右新聞に書いた。
(3) 盗んだ物を買手を信用させるために市役所から数人名儀で鑑札をとつてつけるなどたくみな犯行を隠す手段を使つていた。と見認確認したような嘘を書いた。
(4) 盛岡市内で盗んだ自転車を八戸市内でさばき青森、八戸で盗んだ車は盛岡市内で売つていたという。と恰かも原告が言つたものであると誤信せしめる嘘を書いた。
(5) 偽名で八戸に送つたように書き又泉山清作、松山永植、吉本キクノの三人方に十九台を成載門が送つたことがわかつた。と書き右三人方から盛岡市内で盗んだ自転車五台を押収したと嘘を書いた。
(6) 泉山清作、吉本キクノ、松山永植の三人を贓物故買の疑いで取調べたように書き又成載門が昨年十一月から犯行を重ね主に新品の軽快車をねらつていた。と原告が言つたかのように書き三十台以上盗んだように事実無根のことを書いたものである。
(7) 以上のような新聞のために原告は社会的信用を失い幾多苦しみを痛感する破目に全く予期しない損害を蒙つたのである。
原告は一台も盗んだ事実が無い。
(8) 被告会社の被用機関たる東京支社の朝日新聞東京本社がなした右不法行為は真実を世間に報道する営利業務としてなしたものであり真相を確かめて他人の名誉を毀損しないようにする注意義務に反したものであり被告会社の業務執行上の不法行為であるから右のとおり訴求するものである。
(9) 原告は本件不法行為当時土建業で約五〇人の被用人を使い飲食店二ケ所、海産物加工販売及古物商を営み株式会社東洋観光の社員であり青森県八戸市湊町で五〇余人の男女工員を使用し海産物の加工業をやつており月収十万円は下らない状態にあつたが、本件新聞が出て工員が「盗人の工員になつて働くのは恥だ」と辞職されたので加工原料たる生イカを大量に腐らしその実損及得べかりし利益を含め三五〇万円余の損害を蒙つたものでありその他に取引関係の破約発生等により三百万円位の損害を受け全く無資産になる程の被害を蒙つたのである。
(10) 本件は東京有楽町で編集発行した不法行為地を管轄と定め民訴法十五条一項に依り東京地方裁判所の裁判を求めます。
(11) 被告会社は二億八、〇〇〇万円の大資本を有し日日多大の収入を有するものである。又その監督機関被用機関の被用人は全て社会の中堅を占める知識と注意力を備える者なれば通常払うべき注意を用いたならば原告が自転車を一台も盗んだ事実のないのに不拘三十台も盗んだとしかも原告が自認自供したるかの如き本訴記事は書かなかつたものと考へるを常識としその過失は大なるを以つて百万円の賠償は小なりと思う。